真に面白いことをするために無労働になる
20 December, 2024
実験的にまとまった文章をここに置く。 ただし、洗練されたものではない。 広く公開する意図はないけど、誰に読まれても問題はない。 生産性を上げることが目的で、それに寄与しなければ止める。
「やりたいこと」と「やりたくないこと」へのパフォーマンスの差異
人間は脳の構造により、ある程度の性質が決まっている。 例えば、「やりたいこと」に取り組む際、脳から何かしらのハッピーな神経伝達物質が分泌されて、行動を促進し集中力を高め、高い生産性をもたらすが、一方で「やりたくないこと」に向き合う際はそうではなく、通常はより低いパフォーマンスしか発揮できない。
自分は他者と比べて特にこの傾向が強いことを自覚していて、「やりたいこと」をしているときのパフォーマンスを100としたら、「やりたくないこと」へのパフォーマンスは3くらいになる。 実はこの性質は思い込みで、意外とそんなことないんじゃないか?と思いつつ生活してみたりもしたけど、流石にここまで少なくない年数生きて、学校仕事趣味諸々での経験から、自分はこういう脳なんだと理解できた。 別にパフォーマンスが低くても、社会的活動を営む上での最低限くらいの行動はできるから、生活する上では問題ない(口座の差し押さえ程度は問題ではない)。
が、もし自分が動ける時間をすべて「やりたいこと」に費やしていたら、どれほど生産できたかをかなり意識しており、めちゃくちゃにストレスを感じる。 仮にこの世の全人間が「やりたいこと」しかやらなくなったら社会は崩壊するので、「やりたくないこと」も我慢してやるべきなのだけど、人間の性質として向き不向きがある。 というか、もうそのパフォーマンスの低下は自分だけの損失ではなく、社会的な損失でもあるので、これはもう病気かなんかだと思って振り切って、自分は人生をすべて「やりたいこと」に全ツッパしたほうが良いという結論に至りつつある。
実際に3年前その戦略を真面目に実行した。大学院も研究も業務委託も未踏が終わると同時にぜんぶやめた。 それ以降、2021年から2023年に至る3年間、自分の「やりたいこと」に没頭できて高いパフォーマンスを出せてかなり成功した体験だった。
ここ一年は基本的に依頼されたある種の仕事をこなしてきた。 これは労働環境として外国人しか居ない&CTFプレイヤーがほとんどという点では、メタ的に「やりたいこと」の一つではあるけど、仕事の内容そのものは性質上一人でやっていたときのものより面白いものではないし、当初より面白さは感じられなくなってきた。 当然これは一年前の時点で予期していて、いつこうなるかが問題だったけど、そろそろ潮時のように感じる。
2025年の活動
というわけで、2025年はまた自由に活動することにした。 明確な職を持っているわけではなく、それが変わったり無くなったりするわけでもないから無職という言葉は適していないし、本当の無職に失礼だから無労働が正しい。
真に面白いことをするために、無労働になります。